自分のあまり好きではないところ
今回はタイトルから書き始めています。
書く気になったのは「ギルティクラウン」を見たからですね。
redjuiceさんの絵、やっぱめっちゃ好き。
そんなことはどうでもいいです。書く内容からずれてしまうので。
ちなみに書いているのは自分ですが、書いている様子の微妙に別視点の自分が茶々を入れてくる気がします。(タイトルはそういうことです、コメントは自分にあてたものです。他人に対しては大体別の考え方です。)
集の世間や他人の顔色を窺い、人に嫌われることを周囲に流されていろんなものに巻き込まれてしまうといったある種普通の人間のところから物語が始まっていきます。
(多分リアタイで見ていた人たちの中で、こういっためんどくさいところが微妙で切っている人いそうだなって思った。)
自分が基本的に初期の集と同じ考え方なので「めっちゃわかる」ってなりながら見てました。(自分を主人公に重ねてて気持ち悪い。どんだけ自分のこと気に入りたいんだよっていう無駄なあがきが見えてて気分悪い。)
集は偶然[運命]にもいのりに出会います。その後涯に合い、葬儀社というグループに入っていくといった流れに流されていきます。(流れに流されるって頭痛が痛いみたいな感じで少し気になる。)
中盤にて色々ありましたが集自体がしっかりと自分の意志で動けるようになりましたが、別れからの別れで精神が病んでいきます。(ここで「救いが、救いがない。集ばかりが奪われていって何も残らないじゃないか!」と口に出して言ってましたが、家には一人しかいないので共有しようとしても無駄です。というか通りすがりの人に聞かれる恐れがあるので自分的にはやめていただきたい。)
精神が死んでいた集ですが、とあることにより決心して再び立ち上がります。良かったです。一安心です。(ですがこの人、立ち上がってほしかったくせに、立ち上がり動くことでまた何かを失うんじゃないかと思って怖がっていました。何が一安心だ。安心してないじゃないか。)
ここからはもうラストに突っ走っちゃうので一応追っていくのは終わりです。
結果集は嫌いな自分から自ら決断していく[憧れの]自分になることができます。
彼自身の根底にあったものは「優しさ」は変化前後においては残り続けます。
優しさがあるから他人に嫌われるようなことをしたくない、流されていれば相手から疎まれることもないと判断していたのかなと思います。ですが、他人とぶつかってでもその人のことを知りたい、接したい。その上でその人のためにできることを自分の判断で真剣に模索するといった優しさに変っていきます。
人にぶつかっていくことができる人は憧れます。行動から人の考えていることを推察したりするのは好きですが(趣味悪い)、人の本当の気持ちに触れるのは怖いです。思いを伝えるのも怖いです。
(なんか書いててとりあえず嫌いなのはなんか「気持ち悪い」んですよね。)
というか、嫌いになりたいんじゃないかというくらい探すのも気持ち悪いと思うんですよ、自分的には。酔ってんの?って言いたくなります。
〈まぁ、こんな感じで嫌いvs好きになりたいのそれぞれの戦いがあるわけですが基本的に上のような言い争いになるのがオチです。答えにたどり着かないいたちごっこや水掛け論、堂々巡りのようなものになります。〉
〈誰かに思いっきり肯定されたいんでしょうね。その相手が誰なのかはわかりませんけど。止めた方がいいですよ、結論付ける責任を誰かに転嫁するな。背負えよ。〉
〈それでは、〉